アボットさんこんにちはの内容

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この物語はアイテックス株式会社の
代表取締役社長 板垣 政之が
高校3年生の時に出版された物語です

山形県の北西部にある東根市は、さくらんぼのふるさととして、全国的に知られている。でっかいふなだべ~、お~い見てみい」「こりゃあ、ふなとちがうべ~。イワナだべ。それにしてもいっぺえおるなあ。」小学1年生のカッチンとオトやんが顔を見合わせた。「よし、おらがもぐってみるべ。おい、マサ、おまえ、おぼれるとたいへんじゃからな、岸にあがってまっていろや」「いやじゃ、おらも、いっしょにもぐる」この夏は、5歳の政之でも首すれすれで川の中に立つことができた。「よし、そんなら、いっしょにもぐるべ」空には、雲一つ無い夏がひろがっている。奥羽山脈の青い峰峰が、遙か向こうに連なって見える。ときどき、ぎんやんまが、おしりを水面にチョンチョンとつけて、ゆうゆうと飛んでいった。「そろそろ、あがるべ。」「あんれ、マサは、どこいっただ?」「流されてしもうたべかあ・・」洋平が泣きそうになった。と、そのとき、向こう岸の雑木林の中から小さなかげが走り出てきた。「マサだ、マサだべ。おまえ、なんであんな所におっただ?」「ん・・・。もぐっとるうち、ションベンちびりそうになっただべ。」「そんなもん、川ん中ですればよかんべ」「川ん中でやったら、川が汚れてしもうべ」・・・。帰りの道は長かった。「今日は、母ちゃん、田んぼさでにゃならんから政則の面倒さ見てけろ。昼っこさには政之の大好きな焼きそばつくってやるけえ」お母さんは美枝ちゃんをおぶって出かけていった。妹の美枝は1歳になったばかりだ。お父さんは、ついさっき、車で会社に出勤したばかりだった。「農業だけじゃ、やっていかれん」それが口癖だった父さんは、東根市に電機部品を製造する会社を作ったばかりであった。だから、いろいろと、たいへんらしい。政之は、一生懸命働く父さんの後ろ姿を見るのは好きだった。家の中には政之と弟の政則だけになった。政則は、3歳になったばかりである。

陸奥の秋は、駆け足でやってくる。もう9月もあと残りわずかだった。「そーれ、政則、よーいどん!」政之がかけだした。つきぬけるような青空の下に、黄金色の田んぼが、海のように広がっている。あちこちで、稲刈りが始まっていた。政則と遊んでいると、わーっと小学生たちの一団がやってきた。5、6年生を先頭に、1年生や2年生もいた。ぼろぼろの座布団をホームベースにして野球が始まった。カーン。ボールが秋空高くヒューンとのびた。・・・おらもやってみたいなあ。はやく1年生になりたい。そして思いっきり野球をやってみたい。政之は、広っぱを後にした。うちに帰ると、裏庭からグオーンという機械の音が響いてきた。あっ!母ちゃんだ。政則と一緒に裏庭に走った。グオーン、グワーン、クリーム色のコンバインがうなり声をあげていた。そのそばで、水色の作業着をきたおじさんが機械の点検をしていた。柔らかな秋の日差しがすずなりになった柿の実にふりそそいでいる。うなっていたコンバインの音が静かになった。点検を終えたおじさんが道具箱をかかえて帰っていった。ウオーン、ウオーン電源は切られているのにモーターはまだ回転していた。不思議なことだった。その音にすいよせられるように、政之は、コンバインの中をのぞき込んだ。そして右手が機械の中にすーっとのびた。「ギャー!」ものすごい叫び声があたりに響き渡った。「政之~政之~!」お母さんは政之を抱きかかえた。そして、自分の目を疑った。政之の右腕がない・・・。「救急車呼んでけれ~」お母さんは声を振り絞って叫んだ。そして救急車に乗り込もうとしたとき、お母さんの目はコンバインの方に釘付けになった。おちていたのは政之の手首だった。お母さんはそれをひろいあげ無我夢中で救急車に突進した。政之は、歯を食いしばって堪えていた。手術が終え、ひじから先が無くなった政之の右腕に包帯がまかれた。お母さんはビニール袋の手首を医師に差し出した。「ああ、せっかくおもち頂きましたけど・・・もう役にたちませんなあ」救急車の中でもしかしたらもとの姿に戻すことが出来るかもしれない・・・ひたすら祈るようにしてきたお母さんの希望は無惨にもうち砕かれてしまった。

政之は、事故の事も右手の事もお母さんに一言も聞かなかった。お母さんには、なおさらそれがつらかった。退院の日、父さんが政則をつれてやってきた。「うちさ、帰れるんだ。ああ、よかったべ。」ベットからおりた政之は、1週間ぶりに歩いた。体がふらついた。右腕がなくなった為体のバランスがうまくとれないからだ。今にもころびそうになりながら、政之は左手を大きくふって歩いた。・・・これからこの子の戦いが始まるんだろうか・・・懸命に病院の廊下を歩いていく政之の後ろ姿にお母さんの目頭があつくなった。それからは負けん気の強い政之の挑戦の日が始まった。ゆっくり、ゆっくり時間を掛けて頑張った。

もうじき市のソフトボール大会が開かれる。それで練習のため放課後みんながあつまった。だが、政之は気が重かった。・・・右手がないおらは、ピッチャーは無理だ。それに、左手1本で打つのもうまくいかんべ。そう思うと気持ちが沈んだ。練習が始まりみんながライト方向へ力一杯のヒットを放った。政之の番が来た。・・・なに、片手でも、あいつらよりすごいのを打ってやるべ。が、バットはボールをかすめもしなかった。第2球目がピッチャーの手からきれいなカーブを描いて投げられた。政之はボールに狙いをつけバットを振った。あんまり力を入れたので勢いあまって政之は仰向けにひっくり返ってしまった。「あっはははは」みんな、どっと笑った。第3球目、今度はカーンと音がした。だが、ボールはサード方向へのごろだった。やっぱし、片手じゃうまくいかん。みんなのあざ笑う声が背中につきささる気がした。「おら、もうやめるべ!」「ちくしょう!」走る政之の目から悔し涙が次々とあふれた。サクランボの木が白い花をつけている。その花たちが涙の中でぼーっとかすんだ。

政之の家から見える山のてっぺんが白い雲をかぶった。10月も終わりになると風はもう冬を運んでくる。夕方お母さんが買い物から帰ってきた。「政之、なにしとるべ」玄関の横にある蛇口の前で、政之が顔を真っ赤にしていた。蛇口に雑巾が巻き付けられ、それを一生懸命しぼっていた。「どうした」お母さんは不思議そうに政之を眺めた。「先生がな、家で練習してこいというたんじゃ」「おら、掃除当番苦手じゃ。雑巾がようしぼれんべ。そしたら先生が見本見せてくれたべ」その日、掃除当番だった政之は、雑巾がうまくしぼれなくて教室の床を拭いたはいいが、びしょびしょにしてしまった。すると先生が政之を学校の洗い場へ連れて行った。「政之、よう見とれ。ほら、雑巾をこうやって蛇口に巻き付ければ左手だけでほーら、こんなに堅くしぼれるべ。なあ、なんでも諦めるな。どうしたら左手でもできっか考えたらいいべ」先生は政之の頭をコツンとやった。「そうだべ。おら、先生にほめてもらうのが1番うれしいだ。」政之は3年生になった。「マサ!さあ、一緒に野球やるべ」カッチンがかけてきた。「さあ、一緒にやるべえ」「だども、おらあ・・・」政之は左手で右腕の肘のあたりをさわった。「ンな事気にすんのはマサらしくねえべ。さ、やるべ、やるべ」政之はみんなの中に入った。みんなニコニコと迎えてくれた。ボールが3回ばかり政之めがけて飛んできた。必死でそれをとろうとしたが左手だけでは思うようにつかめない。ボールは政之の手をすべりぬけコロコロと転がっていった。・・・右手があったらこんなボール簡単にキャッチできるべに。政之はくやしくてその場で足を踏みならした。・・・こんな気持ちじゃいつになっても野球が好きになれんど。そう思っては見るが心は最後の所でいじけてしまった。7月のはじめ、蒸し暑い夜のことだった。珍しくお酒を飲んで帰ってきた父さんが青い紙袋をもって「政之ほーらお土産だべ」箱の中には新品のグラブがピカピカ光っていた。「わーい、やったべ、やったべ、ばんざーい」野球はうまく出来ないがはじめてのグラブはやっぱり感動ものだった。その夜、政之は新品のグラブを左手にはめて布団に入った。・・・野球はうまくなるべだか。グラブだけがすごいとみんなからかわれるじゃないべか。そんな事を考えるとなかなか眠れなかった。

西の空が真っ赤に染まっている。「政之、おまえ今度の運動会で応援団長やるって、ほんとだべか?」「うん、やるべ」「おまえ、ようやるな。はずかしゅうないか?」「どうしてだべ」「うん。いや、ほら・・・」「ああ、おらの手がないからってか。ンなもん、ちいともはずかしいことないべ。おら、なんも悪いことはしとらん。右手のないのは仕方ない事だべ。今更ないものねだりしてみてもはじまらんべ」「そりゃあそうだ。おら、おまえが、なんでも一生懸命にやっとるのを見るとよーし、おらも負けねえど。そんな気持ちっこさなるべ」「なんだべおまえ、おらへのお世辞でねえか」夕焼け色の秋の空にみんなの笑い声がはずんだ。6年生の秋の運動会。お母さんはグラウンドの片隅で政之をじっと見つめていた。フレーフレー!赤いたすきをした政之は左手に扇子を持ち懸命にふって声を限りに叫んだ。どうどうたる姿だった。お母さんは涙をしきりに堪えたがやっぱり無理なことだった。

そして、10月の終わり政之は今度は、相撲大会に参加した。左手一つで対戦相手にぶつかっていく政之の姿にみんなは圧倒された。この大会で政之は準優勝となった。表彰式の時、政之に、ひときわ大きな拍手がなった。11月のはじめの静かな夜だった。お母さんは弟や妹をつれて山形市の実家に出かけた。「ばあちゃん一人だと寂しいべ。おら、留守番しとる。」政之は家に残った。宿題をしながら、えんぴつをなめて考え込んでいるとテレビからこんな声が流れてきた。「今夜は今アメリカで感動の渦を巻き起こしている片腕のエース、ジム=アボット投手についてスポットを当ててみたいと思います」えんぴつを持つ手が止まった。政之の体がテレビの画面にすいよせられた。くいいるように画面を見つめた。小さい頃からプロ野球選手になる事が彼の夢だった。「ストロングスピリット(強い精神力)があれば出来ないことはなにもない。というアボットは努力の末にそのハンディを克服し大リーグのカリフォルニアエンゼルスに入団した。政之は興奮する気持ちを抑えてビデオをセットした。どうどうとインタビューを受けるアボットの一言一言が政之の全身に染み通った。・・・野球選手になんてなれっこないべ。遠い遠い夢だべ。そう諦め掛けていた政之は大きなハンマーでごんと頭を叩かれ体中に勇気が沸いてくるのを感じた。

陸奥の山々や平野には早々と冬が訪れていた。田んぼや畑には一面霜柱が立っている。凍り付いた白い道を走る自転車はキュッキュッとガラスをこするような音を立てた。ハンドルを握る政之の手がみるみる赤くなった。寺の境内につきグラブを左手にはめるとそれを右脇にはさむ。左手をぬくと1.2.3と数えてからまた左手を右脇のグラブにいれ守りの姿勢をとる。政之は何度も何度もそれを根気よく繰り返した。額から汗が流れ落ちた。「アボットにはまんだまんだ遠いべ」「アボットもきっとこうやって一生懸命練習したにちがいないべ」たった一人の挑戦だった。気の遠くなる様な自分への挑戦だった。だが、北風の中でも政之の体はいつも暖かかった。

政之は中学校に入学した。中学2年の初夏政之は新人戦に臨んだ。背番号10のリリーフエースだったが政之はちっともくさっていなかった。「板垣!おまえが投げるんだ」監督から言われて政之は一瞬耳を疑った。「マサ!おまえが投げるんだべ」仲間に背中をどつかれてやっと正気に戻った。公式戦ではじめてマウンドに立った政之は右脇にグラブをはさみ第1球を投げた。ストライク!球審の手が高く上がった。政之は右脇のグラブからさっと左手を抜き取りボールをつかむと第2球モーションに移った。応援席に小さなどよめきが走った。政之は公式戦で初勝利をかざった。毎週土曜と日曜はレスリングに通い汗を流した。レスリングの成果で左手の握力もぐんと強くなり左手1本の長距離バッターとして板垣政之はその名を知られるようになった。中学3年。先生は指導表をにらみながら言った。「日大山形は、おまえも知ってるとおり、こん山形じゃ名門校だべ。おまえの気持ちはようわかるべ。だども左手1本で頑張ろうとしても続かんと思うのじゃが」「おらは、日大山形しか考えられへん」「どうか試験受けさせてください」

政之は日本大学山形高等学校にみごと合格した。平成3年春、政之は日大山形高校の校門をくぐった。とうとうやったと言うよりも、それは新しい試練の始まりだった。政之は念願の野球部に入部を許可された。総勢80人の野球部員がグラウンドに集合した。新しいユニホームを着た政之は緊張で頬がひきつった。監督がゆっくりと近づいてきた。「板垣っておまえか」「は、はい」「うちん部の練習は日本1きびしいぞ。へこたれるまえにやめるならやめろ!。来る者拒まず去る者追わずが僕の考えだ」政之の額を冷や汗が走った。日大山形高校の監督となって20年目の監督にとって体にハンディをもつ部員に出会ったのは初めての経験だった。厳しいメニューが来る日も来る日も待ちかまえていた。2ヶ月程が過ぎるとそんなメニューも平気になった。だが腕立て伏せには閉口した。45回46回・・・呪文のように回数を数えながら歯を食いしばった。が、政之は毎日50回の腕立て伏せに弱音を吐かなかった。季節が過ぎ冬がやって来た。いつもの年だと新入部員の半分近くが夏休みが終わる頃には次々とやめていった。だが、この年はやめる者がいつもの年の4分の1と言う結果になった。片腕だけで同じ野球をやる政之の姿に野球部の1人1人が自分のやる気を試されたのだった。政之の存在は、日大山形高校の野球部に目に見えない力を与えるようになった。ポジションもピッチャーに決まった。政之は高校2年生の春を迎えた。4月半ば練習試合が始まろうとしていた。山形県下の主立った高校が次々とぶつかってくる実戦を兼ねた腕試しともいえる試合だった。メンバー発表の日政之の名前は出てこなかった。・・・政之は誰とも口を利かなくなった。もう、やめちまうべ。これ以上みじめになりたくない。そんな政之にコーチは言った。「練習試合のメンバーに入れんかったのが、そんなにくやしいか。でもな、ちいと間違っとるぞ。チャンスは貰うもんじゃなく、自分でつくるもんじゃ。それがわからんかったら勝手にしろ!」心の底から投げてくれた言葉が政之を土壇場で野球に踏みとどまらせた。もう、後ろを振り向くまい。意地っ張りの性格がようやく本物になってきた。練習試合も終わり公式戦が始まっていた。ある日、練習が終わると監督に呼び止められた。「板垣、今度の試合で投げてみっか。」「ほ、ほんとですか」体が小刻みに震えた。「はい、頑張ります。」いよいよ、試合の日がやって来た。背番号23のユニホームを着た政之は唇をひきしめグラウンドへ駆けだした。「そら~、いくぞ~!」「ワー、オーッ、それえ!」両チームのかけ声がグラウンドに響き渡った。マウンドに立った政之は第1球目を投げた。2回3回と相手の攻撃を無得点に抑えた。ベンチへ走りながら3塁側の方を見た。父ちゃんだべ。やっぱし、みにきてくれた。うれしさがこみ上げてきた。不思議に落ち着いて投げられた。「よーし!このまま行くぞ!」気がつくと8対1でコールド勝していた。政之は、夢にまで見た公式デビュー戦でみごと完投勝利をかざった。家に帰ると「政之おめでとう。さっき父ちゃんから電話があってな。おめでとう。おめでとう。」「あんちゃ!おめでとう」妹達が小遣いをだしあって買った大きなデコレーションケーキがどんと置かれていた。

第74回全国高校野球選手権大会が幕をあけた。アルプススタンドでははるばる山形からやって来た応援団が黄色いメガフォンを叩きながらやんやの声援を送っていた。その中にたった一人左手にもったメガフォンで自分の胸をぱんぱんと叩きながら「それー!チャンスだべー!しまっていけー」声を限りに叫んでいる奴がいた。半袖の彼のシャツから右腕はのぞいていなかった。ベンチ入りはかなわなかったが政之の瞳はぎらぎらと照りつける太陽のもとで誰よりも輝いていた。・・・来年はきっと甲子園のマウンドに立ってみせるぞ・・・政之は最後の高校生活の年を迎えた。甲子園へひたすら夢をたくして厳しい練習に立ち向かっている。監督は1人の人間として「1度でいいから甲子園のマウンドに立たせてあげたい。1度でいいから・・・」だが、日大山形高校を率いる監督として恩情では彼をマウンドに立たせるわけにはいかない。すべては、実力が判定してくれる世界であった。政之は今日もペダルを力強く踏みしめる。さくらんぼの実が赤く色づき始めた。空は青く、高い・・・。けれど、この空の果てに、夢に見る甲子園の空はきっと広がっているのだろう。

ハンディにひるむことなく決して甘えずひたすら野球に命を燃やす君に心から拍手を送ろう。くじけそうになったら初めてグラブを手にした日を思い出してほしい。青春は人生でたった1度きり政之君よ!自分を信じ、その、さわやかな笑顔を忘れずに前進あるのみだ!

読売巨人軍中畑清

今、私たちはこのエネルギー溢れる社長のもとで働いています。社長は「自分には何十人の家族がいる!頑張るよ!見ていて!だから皆手を貸して!」と言います。「社員全員参加の経営」でアイテックスは日々躍進を続けます。

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